東大生の約半数は・・・

みらい教育

僕にとってピアノは

正直いい思い出は無いことは

以前のブログにも書いた通りだ。『エピソード番外 「ヴァレンティナ と ラ.カンパネラと僕の過去①」』娘の「いじめ問題の行方」については最終的に解決できたが 一方で僕の幼少期はどうだったのか振り返るきっかけの記事があったので少し振り返りたい。  僕の両親は母は…ameblo.jp『エピソード番外 「ヴァレンティナ と ラ.カンパネラと僕の過去②」』いつも母が教えている生徒はレベルが半端ない生徒ばかりなので耳だけは肥えていた。 だから講師演奏も「上手だな」位しか思えなかった。 母は絶対自宅では練習はしない…ameblo.jp

ただ、

「ヴァレンティナ」との出会いにより

母親に対するトラウマからは

脱出することは出来た。

本格的にピアノをやっていたのは

17才くらいまでだったが

大学に入り、

学費や生活費を稼ぐために

ピアノを復活させた。

当然ながら2年以上のブランクは

想像以上だった。

「指が思ったとおり動かない」

「簡単な曲でも初見で弾けない」

よって毎日2時間ひたすら「ハノン」を

繰り返し練習し

ソナチネやソナタの教本は

死にほど練習した曲ばかりなので

それで勘を取り戻し、

全盛期の70%くらい

までには回復した。

(時々アパートの管理人に怒られた)

なぜそこまでして

ピアノを復活させたか?

それはある人に紹介され

高級バーでのバイトが

好条件だったからだ。

大体22時~2時まで

4時間で3万円+チップで2~4万

弾く曲は6,7曲と決まっていたので

それは問題なかったが、

お客さんの

「即興リクエスト」が問題だった。

客層が当時40~60才位だったので

リクエストが

「演歌」や「歌謡曲」が多く

ほとんど知らない曲だった。

常連さんが多いこともあり

お店から

リクエストの多い曲は

事前にCDでもらうのだが

楽譜がないので

今で言う「耳コピ」で繰り返し聞き

楽譜に落とし

8割くらいの完成度だったが

お客さんが満足するレベルには

なんとか出来た。

「17年間のピアノは

無駄では無かった」

そう実感した。

弾くこと自体は楽しかったので

苦にはならなかった。

それ以降も中古の安い

アップライトを買って

自宅のアパートで

練習していたのだが

結婚を機に「グランドピアノ」が

ほしくなり

さすがにスタンウエイのピアノは

無理だったが

某日本メーカーの

一番小さいグランドピアノを

買ったのだが

当時タワマンの上層階に

住んでいたのだが、

それがあだとなり、

買った値段と搬送費用が

変らない

という、

驚愕の事実にぶつかり

先に搬送費用を聞いてから

買うかどうか決めるべきだったと

後悔した。

(ちなみに大型のエレベーターに

入るくらいまで

バラせる限度までバラし

部屋で再度組み立てる、

という

朝から作業が始まって、

終わったのは夜の7時だった)

大体半年に1回のペースで

調律をお願いしていたのだが

その調律士さんは

30年以上のベテランで

かなりの業界通だった。

大体調律は

1,2時間くらいで終わるのだが

その間、よく話をした。

そのときの話で

特に興味深かった話がある。

「東大生の約半数はピアノ経験者」

という話だ。

その方は主に

ホテルや高級バーなどをを専門に

やっている方だった。

教育業界にいる身だったので

この話は今でも鮮明に覚えている。

その方から教わったのは

それ以外にもいくつかある。

1つは東大生の話だが

それは後ほど詳しく書くとして、

2つめは

ピアノ経験者に

「”ピアノ”というキーワードから

連想される言葉は?」

という問いに対し

「柊さんだったら

どんな答えだと思います?」

と聞かれ、

さすがに過去の悪夢を

話すわけにはいかなかったので

「普通なら、発表会の思い出とか

音色、キーのタッチ感じゃないですか?」

と答えると

「柊さん、全然違うんですよ。

この質問の回答の上位は

「先生が怖い」

「練習がつらい」

「親に怒られる」

この3つです。

これは10年間

変らないんですよ」

という話だった。

「自分と一緒じゃ無いか!」

と思ったが、

ピアノ経験者は

僕同様自己のピアノ経験における

ネガティブな思い出が

多いことを知った。

それから先ほどの

「東大生の約半数はピアノ経験者」

の背景だが、

その方が言うには

幼少期にピアノをやることは

情操教育だけでなく、

知育的な観点からも非常に良い

ということで

やはり東大を目指させる親なので

教育に対する感度も非常に高く

幼少期に我が子に

何に投資するか

という点でも

理にかなっていると思った。

しかし、この業界で

キャリアを重ねるうちに

「もしかしたら違う効果も

狙っていたのでは?」

と思うようになった。

たしかに、

2段の楽譜を同時に読んで

左右の指を別々に動かすことは

脳にとってすごく

良い刺激を与えることは確かだ。

実際脳科学の観点からも

そのエビデンスはたくさんある。

しかし、教育的観点から言うと

ピアノを習っている生徒は

プロを目指していない限りは

大体平均月に1回、

大体30~40分くらい

教室で指導を受け

そして次に教室までに

基本的に毎日30分から1時間くらい

決まった時間で

練習することになるだろう。

そして毎日

「はい6時になったから

夕食まで1時間練習しなさい」

と母親に指示され

習慣化されていたはずだ。

しかしこれは別の見方をすると

ピアノを

「机」と「問題集」に置き換える

この習慣化は、

そのまま学習習慣に流用できる。

確かに中学受験をする生徒の

家庭教師していた時も

言われてみれば

ピアノをやっている生徒は多かった。

(時々その練習も

見させられた事もある)

そしてもう一つ興味深かったのは

先に挙げた

「ピアノに対する印象」は

「ピアノと受験勉強の両立」の難しさ

という点でもつながる。

特に難関校を受験する生徒は

そこから逆算し、

塾での勉強が本格化する前に

一旦辞めるというのが

僕の経験上、

非常に多かった気がする。

そのときの

「引き際」と「再開」が

このアンケートのネガティブさと

相関している

そう感じた。

つまり、難関校を受験する事が

ある程度固まった段階で

そこまでにピアノについて、

あらかじめ決めた

辞めるタイミングまでに

達成できるであろう目標を決め、

そのために頑張り、

やりきれば、

それはそれで

十分な達成感が味わえる。

難関校を受験することを理由に

ピアノをやめるなら

「本当はもう少し続けたかった」

というくらいでピアノを「中断」し、

「受験が終わったら、

また再開しよう」

という「引き際」が

うまく出来れば

上記のような

ネガティブな印象には

ならないんじゃないか

と、自分の経験も含めて

そう思ったし、

そういうアドバイスをよくした。

後は

「発表会」を

一旦中断する区切りとして

利用してみてはと

アドバイスしたが、

これは、

「これまでのピアノの集大成」

を実感でき

結構好評だった。

(僕の場合は全く別だが)

仮に、再開しなくても

それが「いい思い出」で

終われるように持って行き、

ある程度生活に

余裕が出来てから

また練習を再開する可能性も

十分ありだ。

これは

かなり「逆説的」な考えだが

これはピアノに限らず、

どんな習い事でも

「始めるときに、

辞め時や

中断する時期を

イメージしておく事」

簡単ではないが

これはどんな習い事を選ぶよりも

大事なことだと思った。

どんなにいい習い事を選んで、

どんなにいい教室を見つけても、

「引き際」を間違えると

その習い事の経験全体が

悪い印象

つまり、

「習い事経験全体が悪い」

「飽きた」

「やる気がなくなった」

そして僕のように

「行き詰まった」

というネガティブな要因でしか

「辞め時」「引き際」が

やってこない気がする。

せっかく楽しかったのに

「引き際」が悪いと

どのみちネガティブな形でしか

習い事から撤退することに

なってしまうのではないか?

最悪なのは

受験勉強との

両立に行き詰まり、

どちらも中途半端に

なってしまうことだ。

両立に失敗した

という「敗北感」の中で、

習い事を去るのは

悔しいし、つらい。

そしてなにより

受験勉強への

インセンティブが全くなくなり

やる気が感じられなくなるので

良いことがないという

最悪な結末になってしまう。

ちなみにこの

ピアノの再開についてでだが

長女の小学校で

ちょっとした問題が起きる。

それはまた、

どこかで書こうと思う。

(書きたくないが)

柊蓮(ひいらぎ れん)

柊蓮(ひいらぎ れん)

少子高齢化、ICT、AIの進展、英語教育改革、入試改革といった業界内における様々な環境の急激な変化をビジネスチャンスと捉え、既存の経営戦略にとらわれない思い切った経営戦略、集客戦略の構築によるクライアントの業績向上に邁進中

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