アクティブラーニング

みらい教育

この言葉を知っている人も

多いと思われるが、

学教教育も含め

定義そのものもそうだが、

まだまだ「正解」が見えないが、

僕なりの「持論」はある。

学習塾勤務時代

退職前の最後の2年はほとんど授業には

入れなかったが、

それまでは

教師として教壇に立ち続け

延べ10000時間以上

約1500人の生徒を

直接見てきた上で

常に意識してきたことが2つある。

1つは「導入」

「学習」が

「更なる学びとなるインセンティブ」

につながっているか?

その重要性は

先のブログで書いたとおりだ。

そして、

もう一つこだわって来たことがある。

それは

「対話」を通じた授業構成

これも積極的に発言を促し

「正しい」「間違っている」で終わらず

そこから質問を切り替え

1対1のやりとりを通じ

さらに発言者を

連鎖的に増やしながら

クラス全員を参加させる

そして、

「間違えたこと」が

結果としてその生徒も含め

同じクラスの仲間たちに

多くの気づきを提供したことを

常に意識させ

みんなでその生徒を称える。

学習に対して

積極的に参加させるためにも

発言を促し

そこからさらに切り口を変え

さらにその学びを深耕させる

そうやって

「間違えていいんだ」

「間違えたことで結果、

周りの仲間にも

多くの気づきを与えられた」

そう誇らしく思ってほしい

そう願いながら

授業をしていた。

この2つめについてが

いわゆる

「アクティブラーニング」

の土台だと考えている。

特に授業における

「対話の価値」

ここの重要性を

若手も含め

教室再建では

一緒にその教室に入り

一番厳しいクラスを受け持つことで

職員全員に

常に意識させてきた。

その「アクティブラーニング」の

土台である「対話」だが

さらに細かく分解すると

「個人思考」と「集団思考」

が組み合わさっていることが分る。

たとえば演習問題後の

解説において

当たり前だが

こちらから答えは言わない。

むしろここから

本当の「授業」が始まる。

具体的に流れを追ってみると

1,問題文を読み、自分なりの解答

 あるいは、分るところまで粘らせる。

2,隣同士で

 解答を見せ合い

 互いの解答について

 それぞれが説明する

3,発言させる

4,教師と生徒がやりとりを繰り返し

 より「汎用性の高い」考え方を

 クラス全員でシェアする

5,今日の授業のまとめとして

 確認テストを実施する

6,一人ずつチェックし

 キチンと承認と

 リフレクションをする

全ての授業がそうではないが

大抵の授業の構成は

この6段階を意識的に組み込む

実はこの6つは

一連の流れではあるが

先に書いた

「個人思考」「集団思考」

が意図的に組み込まれている。

1の段階は演習中だ。

 正誤はともかく

 自分なりに答えにたどり着く

 「よし、できた」

 「う〜ん、わからん」

 そう思うだろう。

 ここは「個人思考」となる

しかし「2」の段階で

隣同士で答えと

そのプロセスをシェアさせる

そうすると

「あれ?答えが違うな」

とか

「そうか!

そうやって解けばいいのか!」

といったように

「正しい」「間違っている」以上に

視点の拡大を後押しする。

ここは「集団思考」となる。

そして「3」「4」の段階で

ある程度生徒たちは

「よし、

この答えで間違いないだろう」

となり、

質問の角度を変えながら

多くの生徒に挙手を促し

それぞれが正誤を恐れず

自分なりの答えをいい

正解していれば

「承認」しつつ、

その解答に至までの

プロセスを

質問の角度を変えながら

答えさせていくことで

問題に対する解答と

そのプロセスを

全員でシェアする

上位クラスであれば

さらに問題の切り口を変え

「じゃあ、もしこのように

設問が変ったらどうなる?」

と言った具合に

出来るだけ汎用性の高い

問題をセレクトし

同じ視点で類題が解けるよう

「対話」をしながら視点を広げる

ここでさらに「多くの気づき」が発生するよう

事前に「対話」のシミュレーションを

しっかりしておく

つまりここでも「集団思考」となる。

そして「5」「6」で締めくくる。

今日の授業に積極的に参加しようと

頑張ったことを褒め

今日もたくさん学びがあり

授業を一生懸命受けてくれたことに

感謝する。

その上で、

「今日のまとめ」となる

確認テストを解かせ

個々の状況にあった承認と

足りない部分の

「気づき」のきっかけを与え

今日の授業を

しっかりと振りかえさせる

そしてしっかりと「承認」して

「僕は出来る」

そう言う小さな「積み重ね」を

意識させる。

これは「個人思考」と

言うことになるだろう。

このように集団授業だからこそ

「対話」が授業の中心となるように

授業構成を組み立てることで

「個人の気づきでは届かない

更なる深い学び」

「積極的に授業に参加しようとする

インセンティブ」

をしっかり作る。

この「型」が、

おそらく自分が目指す

方向生だろうと気づくまで

3年くらいはかかった。

しかし、「わかりやすい授業」から脱却し

「集団指導」と

「個々への適切なアプローチ」

という、

いうなれば「トレードオフ」に

なりそうな部分だが

ここを両立させて

初めて

「学びのインセンティブ」が

発生すると実感した。

この授業の「型」にこだわったのは

やはり

大学時代

「カリスマ講師」だった

鷹司先生の授業の

影響が大きい。

彼の授業のこだわりは

「全ての生徒の潜在能力を

集団指導という環境を活かし

100%引き出す」

そのために

「どう教えるか」ではなく

「どうしたら積極的に学ぼうとなり、

究極目標である

授業外での「自己学習」に

つなげらるか?

「また次も

この先生の授業を

受けるため、

もっともっと勉強しよう」

そう思ってもらえるか?

彼ら「トップ講師」たちの授業からは

「授業が楽しい、わかりやすい」

は当然で、

「授業外の先生のいない所でも

しっかり学習を

し続けることが出来るか?」

そこに全てのエネルギーを

掛けていたんだと

授業延時間が

2000時間を超えたあたりから

少しずつ理解し始めた。

東急学院では

授業のべ時間数が

2000時間を超えて

ようやく「一人前」と呼ばれる。『エピソード15-2「1流と2流の差」』もちろん間違う生徒もいる。 しかし、それが恥ずかしい事だと思わせない。 この「間違った解答」でさえ、教師は問題をさらに深耕するための材料として活用し、その深耕…ameblo.jp

「塾では頑張る生徒」

終わってはだめだ。

そこで

「新たな気づきを得て」

自分の考えが

「部分的だった」

「考えが浅かった」事を知り

「もっともっと知りたい、勉強したい」

という

「対話によって学びを深める授業」

そこまで責任を負わないと

「教師として教壇には立てない」

至高の授業をこの目で何度も見て

鷹司先生の授業を骨の髄まで

体感したからこそ

「僕はまだ鷹司先生に

届いていない」

そう自分と戦い続けた。

そして「対話」を主軸に置く授業には

もう一つ重要な意義がある。

それは

「キャリア教育との親和性」だ。

「教科学習とキャリア教育は別物」

と考えている人も多いと思う。

実際僕もそうだった。

だから必死に授業「外」で

「イベント型キャリア教育」

(進路を考えたり、

自分の強みや弱みを意識させ

強みをより強化する啓蒙活動や

ワークショップなど)

を考えていた。

しかし、あるとき

「授業の中で

出来るんじゃ無いか?」

と考えるようになった。

「対話」を中心に置くことで

生徒たちに

勉強を教えるだけで無く

更なる学びへの

インセンティブにまで

昇華させる

これは先に書いたとおりだ。

しかし「対話を重視する」事で

もっと大きな力を

養成できる事に気づいた。

人間社会を生きていくために

不可欠な能力

具体的には

傾聴力、表現力、説得力、理解力、思考力

判断力、交渉力、協働性、社交性、社会性

そして、多様性

こういった力を

「対話を重視した授業」なら

醸成する事が出来るかも知れない。

そう思い始めた。

「対話」を中心に置いた授業を

「週3回で3年間」と考えると

1300時間前後にもおよぶ。

これだけの時間を

「一方通行のわかりやすい授業」

で終わってしまうか?

それとも

「対話」を意識した授業構成で

生徒一人一人の個性や

状況をしっかり把握し

それを発言や教え合い

という行動を意識させられるか?

自ら学びを深めようという

インセンティブを付与できるか?

これはものすごく大きな「差」になると

考えている。

この時間は大学進学後では

到底埋められない。

ある心理学者は

「言語は自己を形成する事に加え

主観的キャリアも形成する

キャリア構成理論における

決定的な要素となる」

と言っている。

また、

「我々は”語り合う”事で、

自分を磨き、

自分自身を形作る」

とも言っている。

だから「キャリア教育」と「教科学習」は

一見親和性がなさそうに見えるが

「対話」を中心に置く授業に

変換できれば

必然的に上記のような力を養成し

結果、自分自身のキャリアを考える

「きっかけ」を

与えられると信じている。

「対話の機会の提供」

それ自体が

尊いキャリア教育である

今ならそう自信を持って言える。

柊蓮(ひいらぎ れん)

柊蓮(ひいらぎ れん)

少子高齢化、ICT、AIの進展、英語教育改革、入試改革といった業界内における様々な環境の急激な変化をビジネスチャンスと捉え、既存の経営戦略にとらわれない思い切った経営戦略、集客戦略の構築によるクライアントの業績向上に邁進中

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