現在クライアント様から
依頼を受ける内容のうち、
民間教育機関と
それ以外の業種の比率は
だいたいだが6:4くらい。
僕の持つ知見やスキル、
経験値を勘案すると
どうしてもこうなってしまうのは
まだまだコンサルタントとしての
修行が足りないと考えている。
(パートナーは「10:0でもいい!」
と言っているが・・・。)
某大手学習塾の
社外取締役の
オファーを受けたこともあったが
如何せん
「自宅から遠すぎる」
と言うこともあり、
加えて
ZOOMを含めた
オンライン対応が難しく
辞退させてもらい
引き続きSVでの形での
契約をお願いさせてもらった。
さて、
この未曾有の危機ともいえる
「コロナ」だが
先日あるテレビで
「コロナをどう乗り越え、
その先の未来、
消費者の行動意識は
どうかわる?」
と言う特集をやっており
非常に面白かったのと同時に
「多くの気づき」かあった。
かつて西洋で流行した
「黒死病」は、
当時の人々の意識を大きく変えた。
当時は
神の存在を100%
信じていた時代である。
しかし、実際は
信仰心の深い人間であろうと、
聖職者でろうと
庶民であろうと
分け隔てなく、平等に(?)に
「ペスト」から
逃れることが出来なかった。
そしてこの災難から
「毎日必死にお祈りし
神のご加護を得るために
必死に頑張っているのに
なぜ神は
なにもしてくれないんだ!」
となり、
「神が支配する中世」に穴が開き、
ルネサンスを生み出したと
言われている。
※諸説あり
これと
「コロナ」を同列に扱うのは
どうかと思うが、
このペストの大流行の
後の西洋に匹敵するような
思想上の大きな変化が
起きるのか?
そう考えた時
未来の歴史書の中で
確実に刻まれるであろう
この「コロナの大流行」は
我々の身の回りだけをとっても
確実に
「行動は、意識に反映する」
と言う原理に基づいて動いている。
たとえばニュースなどで
頻繁に出てくる
「新しい生活様式」
と言う言葉。
これが浸透し、
子供たちや保護者の意識に反映し、
民間教育機関である
「学習塾のあり方」にも
相応の変化を引き起こす事は
間違いない。
(と言うより、さけられない)
20年後、
30年後の未来において
「学習塾」という存在は
どのように変容していくのか?
よく聞かれるが
正直「分らない」
としか言いようがない。
しかし、
もう少し近い未来
または、これまでの
様々な学習塾の
取り組みを見ながら
「近い将来」という制約があれば
「数年後の学習塾のイメージ」を
推測することは出来そうだ。
言うまでもなく「キーワード」は
「オンライン化の推進」
すでに文科省主導の下
「タブレットの導入」を入り口として
「教科書、ノート、ワークなどの
ペーパーレス化」
「反転学習の推進」
が水面下で進んでいる。
※「反転学習」とは?
事前に動画等で予習をさせておき
学校ではその学習内容を
さらに深耕させたり
グループディスカッションや
個々の理解度の状況に応じた
学習指導を行う手法
遠い未来の話かと思いきや
うちの娘の学校でも
試験的に始まっている。
また
「授業のオンライン化」
もそうだが
大学生中心の
学習塾に通うより
「カリスマ教師が行う
授業の動画配信」
の方が、
コスパがいいだけでなく
学習意欲に対しても
「塾の授業を
そのままライブ中継で
結ぶ」よりも
こっちの方が
さすがは
「カリスマ!すげー」と
呼ばれるだけあって
「たのしい、わかりやすい、面白い」
そう言う声が少なくと
も僕の周りでは聞こえてくる。
では学習塾はどうなるのか?
これは1つの仮説であり
僕の理想と言ってもいいが、
「通塾は週1回」
「残りの5日間は
カリスマ教師の動画付き
自宅でオンラインサポート」
これが一つのビジネスモデルに
なるのでは?
と考えている
というより
「それしかないんじゃないか?」
と思っている。
生徒保護者が求めているものは
「学力の向上と、
その先の志望校への合格」
単純化すれば
この2つだけである。
では「学力の向上」は
どうすれば成果が出るのか?
これは今も昔も変わらない。
「毎日、こつこつ勉強する」
これ以外ない。
学力向上に
チートはない。
もう少し丁寧に言えば
「日々、学校で習ったことを復習し
明日学校で習うであろう内容を
少し予習する」
当たり前だが
これ以外の方法で
学力を向上させる方法はない。
ではなぜこれが出来ないのか?
理由は
「それを一人で
やることが出来ない」
「自分に合った
学習計画が立てられない」
「自宅では
やる気が起きない」
だから、
「学習塾」が存在する。
しかし一方で、
この成績向上の大原則を
すべて学習塾で完結することは
できるのか?
絶対無理だ。
それは生徒側もそうだし
学習塾側もそうだ。
理由はいくつかあるが
1,時間的余裕がない
学校は勉強だけをする場ではない
朝6時には起きて、朝練があり、
3時過ぎまで授業があり
そして6時過ぎまでまた部活がある。
さらに学校から宿題も出るから
それもやらなければならない。
そうなると、
物理的、精神的に
通塾は週2,3回が限度だろう。
2,経済的負担
先にも書いたおとり
週2,3回が学習塾の
通塾のパターンだが
それでも月謝は2,3万はかかる。
これがもし「週5」となったら
教師の人件費を考えれば
少なくとも
「通常の月謝の倍」はかかる。
ちょっとこれは負担が大きすぎる。
3,保護者の送迎
これは自分が教室長時代の後半
生徒数が260人を超えていた頃
必ず定期的に
アシスタントを中心に
大量の自転車を整理し
「お迎えの車の行列」が出来、
それを必死に裁きつつも
近所からのクレームも多かった。
警察にも何度も怒られた。
週2,3回でさえ
家事や仕事を
している事に加えて
送迎は、保護者にとっては
相当の負担だろうと
いつも感じていた。
よって「週5」となれば
多くの保護者が
「過労死」してしまうかも知れない。
毎日勉強する習慣をつけ、
しかも上記のような
「三重苦」を回避するために
「オンライン化」は
もはや避けて通れない。
だから
「通塾は週1回、
残りはオンラインサポート」
と言う1つの回答が出てくる。
簡単にできることではないが
この方法なら
学力をつけるための
効果的な毎日学習を
行う余裕が生まれ
送迎も1回で住む。
学習塾側も工夫次第では
費用を抑えることも可能になる。
それを実現する
様々な学習ツールが
BtoCでは降りてきていないが
「学習塾向け」であれば
整備されつつある。
では「週1回の通塾」で
学習塾は何をすればいいのか?
最初に結論を言うと
「ティーチャーから
ファシリテーターであり
コーチングへの変換」
これは僕の体験談でしかないが
具体的には
1,勉強の仕方の指導
2,学習計画を一緒に考え
進捗を管理する
3,塾仲間や講師との
コミュニケーション
5,承認活動を通じた
モチベーションの喚起
塾において
「生徒と教師は対等」
という原則において
子供は、
自分を受け入れてくれる人、
認めてくれる人
褒めてくれる人
そう言う人以外の人の
指示には従わない。
よって塾はこの
「1回だけの通塾」において
生徒と教師の真剣勝負となる。
ZOOMなどという言葉自体
知らないおっさんの僕が
ZOOMなしには
仕事にならない
状況を考えると
人々の意識や行動は
コロナのような
パンデミックそのものというよりも
それによって拍車を掛けられた
技術革新によって
変わる。
これは
「歴史が証明している」
まさに進化の常道である。
自分が最初に教育に触れたのは
「家庭教師」という仕事だった。
たった週に1回だが
ここで勉強を教える
分らない課題を教える
そう思って頑張ったが、
3人中2人に
わずか2ヶ月で切られる
と言う経験から
凄腕家庭教師だった友人に
「家庭教師の存在意義と役割」
を教わった。『エピソード2 「2か月で2人の家庭教師をクビになる」』最初は順調(だったと自分では思っていただけだが…)だったが、その日は突然やってきた。 2か月ほどたったある日、3人の内の2人の保護者から突然「終了の通告」を受…ameblo.jp『エピソード3-1 「教えないで教える事」』「蓮、お前を切った理由わかったよ。今日夜空いているか?飲みながら話さないか?」 今すぐこの電話で知りたかったけど、 もっと彼から学びたい、色々聞きたいという衝…ameblo.jp
週に1回という制約の中で
学習計画を一緒に立て
それを日々の計画に落とし込み
それが順調に進むよう
週に1度本人に会い
戦略からそれないよう
戦術が機能するよう
必死に支え
承認し
自分が正しい方向に
行っていると
しっかり信じさせる事
勉強に対する姿勢を変え
学力を上げ
しっかりと定期テストや
志望校合格に導くために
「勉強を教えないで教える」
それが家庭教師の仕事
20年以上前にすでに
それが
正しい教師と生徒のあり方だと
学んでいた。
もっと言えば
もし当時
「ZOOM」というものがあれば
もっと効率よく管理でき、
躓いたらすぐ対応し
承認活動も
たくさん出来たかも知れない。
学力や学習姿勢は
一朝一夕に
どうにかなるものではない
だから、
「毎日」
「1時間でも頑張る」
それ以外に方法がない。
だとすれば
今こそ、それが出来る環境に
なりつつあるのではないか?
このコロナを通じて
学力向上の原理原則に
一番最適なスキームとシステムが
そろっているのではないか?
AIやICTが発達すればするほど
より高度なデジタル化が
進むからこそ
「超アナログ力」
それが学習塾に試されている。
だから講師の役割は
子供を丁寧に承認すること
つまずいても
いつでも先生方が
見守ってくれる安心感
そして
「なぜ今勉強を頑張るのか?」
そう言うサポートが
きちんと行われていれば
後は教師との強い絆
一緒に頑張っている
仲間の存在
そういうことが週に一度
直接先生から話を聞ける
共に頑張る
仲間の存在を実感できる場
そこはどんなにAIが発達しようが
デジタル化が推進されても
「人間対人間」
これに
とって変わることができない。
かなり踏み込んだ仮説だが
今僕が塾を開業するなら
このスキームでやるだろう。
週1回の通塾で
子供たちの目を
輝かせて見せる。
(本当か?)
僕の考えを踏み台に
「コロナ後の学習塾のあり方」
「AIの進化の先にある
学習塾の立ち位置」
どんな未来が待っているのか
いろいろなご意見や
ご感想をいただければ
幸いです。
<追伸>
でもこのスキームだと
授業ができない…。
「集団指導の醍醐味」
を知ってしまうと
そこから抜け出すのは
難しいな・・・。
授業のライブ感
これを知った人間は
そう簡単に
自分の役割の変容を
受け入れられるのか?
林先生をはじめとする
「大学受験会のカリスマ」たちが
ライブから動画配信に
続々と切り替えている。
子供達は
大人のように悩むことなく
新しいシステムや環境に
あっという間に馴染んでしまう。
変われないのは僕だけか…。